今でも、できる限りいろいろなところと距離をとっています。
自分が客観的だとか、中立だとは言わないけれど、研究者の立場を貫くことによって、多分、信頼性も得られるだろう、という予測があった。
自分の立場から自分のデータに基づいて発言できる、そういう強みを保持したいと思ったのです。
自分としては一貫してこの態度を貫いてきたつもりですよ」今では画一教育と批判されるようになったが、従来の日本の教育は、他の先進国がうらやむほど、平均レベルの高い、散らばりの小さい基礎学力を培ってきた。
今度の改訂は、犠牲にしても、「ゆとり」を増やそうとしている。
そこに死角はないのか。
まず「子どもにゆとりを」という前提を疑う必要がある。
いくつかの調査によれば、塾などでの学習を含めても、中学生、高校生の学校外での学習時間は、過去20年間で減る傾向にある。
しかも、依然としてよく勉強する生徒がいる一方で、ほとんど勉強しない者が増えている。
学校外での学習時間の差が広がっているのだ。
全体のゆとりを増やす今度の改訂は、すでにあまり勉強しなくなった子どもにとって救いとなるのか、それとも勉強嫌いのさらなる免罪符となるのか。
ここから見えてくるのは、教育における格差拡大の問題である。
今度の指導要領改訂がうたう「自ら学び、自ら考える力」の育成は、実践場面では、従来の知識伝達型の教育ほど簡単ではない。
教師の力量の問われる難問である。
しかも、この困難な課題を全体の授業時間数を減らす中で行おうというのだ。
知識伝達中心の画一教育は、学校間、教師間の違いを極力おさえてきた。
それに対し、どの教師や学校にも同じ力量があるという理想論を信じ続けない限り、今度の改訂が、学校間.教師間の教育力の差を拡大することは避けられまい。
それも「学校の個性化」とM部省は呼ぶのだろうか。
公立学校のさらなる地位の低下も進むだろう。
今回の改訂は、一見、勉強の不得意な子どもに救いの手を差し伸べているように見えるが、得意な子はどうなるのか。
公立学校での学習にあきたりない子どもは、これまで以上に塾や私立学校に頼るようになるだろう。
その結果、親の意識や所得などによる教育の階層差が、これまで以上に拡大する可能性がある。
もうひとつの懸念は、学力低下である。
数学の学力を長年国際比較してきた研究によれば、日本の中学生の学力は、今ではシンガポールや韓国を下回る。
また、思考力を試す文章題では、過去の日本の生徒と比べても低下傾向にある。
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